ちょっとひとりごと

 

 

 

 

 

 

こんな話をしたら、意見が違う人に叩かれるのも嫌われてるのも目に見えてるから極力避けてきたけど、私の意見を少し話してみたいと思う。

 

 

 

 

 

はっきり言おう、私は  『嵐は変わった。あの頃の嵐が好きだ。戻って欲しい。嵐は離れていってしまった。』  といった意見が嫌いだ。あの頃の嵐がどの頃の嵐か、私には正直わからない。花男をキッカケに彼らの人気が加速し始めた2007年〜10周年のアニバーサリーイヤーを経てメディア露出が格段と目立ち出した2011年頃のことを指すのかしら。

 

 

私が嵐に興味を持ち始めたのは2008年頃だったと思う。興味を持ち始めたというか、認識し始めたと言うのが正しいかな。認識し始めただけだから別に、FCに入ったわけでもないしCDを買うようになったわけでもない。茶の間として見ていた。それまで嵐どころかジャニーズ自体まっっったく興味無いし、顔見たことあってもそれが誰なのか、どのグループなのか知らなかったし知ろうともしていなかった。なんならクラスの女の子たちがジャニーズやEXILEなどにハマり始める頃、私はお笑いにハマった。我が家の坪倉とフルポンの村上が大好きだった。毎日『イケメン!坪倉まじイケメン!好きー!』と叫びながらチャリを漕いで塾に向かっていた。恥ずかしい話、ガチ恋だった。んだと思う。

 

 

そんな私が、茶の間として見ていた嵐から目が離せなくなり、FCに入り、ズルズルと沼に落ちていき、今に至るキッカケとなったのはやはり、嵐の10周年だろう。当時、小学6年生。私と同年代(勝手に、初代プリキュアを見てた世代だと認識している)の人たちのほとんどは私と同じで10周年からファンなんだろうと、思っている。早くてもやっぱりLove so sweetのあたり。そんな、たかが10年足らずの若僧が『あの頃の嵐が好きだ、戻ってほしい』と言うのは、どうも好きではないっていう話なんだ。彼らの下積み時代を共に過ごしたわけではない、好きになってからネットや彼らの発言から知っただけなのに『辛かったね、大変だったね』と寄り添う文化も苦手。彼らと干支一回りほど離れているのに。デビュー当時から、デビュー前から知っていてずっと見守ってきた人が『あの頃の嵐』と語るのとはわけが違うと思っている。全然売れなかった下積み時代も支え、共に乗り越え、人気が出てきたかもしれないと感じ始め、紅白出場によりそれが確信に変わり、コンサートチケットが取れなくなる時代が来てしまった…その全てを経験した人が『嵐は遠くへ行ってしまった』と感じるのは仕方ないことだろう。

 

 

あの頃(2007〜2011?)の嵐が好きな理由、戻って欲しい理由、教えてあげようか?それは、 自分自身がまだ真っ白で、純粋に嵐を好きで応援していた から、ではないだろうか。好きになりたての頃。『櫻井くんの身長って?松潤の出身地は。大野くんの足のサイズは?相葉くんの血液型は?ニノの誕生日って。』知らないこと、知りたいことがたくさんで、過去のDVDを借りたり買ったり、少しずつ彼らに染まっていく毎日が、自分が、楽しくて。そんな日々に、自分に戻りたいだけなのではないか? 変わったのは嵐ではなく自分自身 なのではないか?

 

 

まあたしかに、あの頃の嵐と今の嵐は違うと思う。(あの頃がどの頃か知らないけど!)でもそれは、変わらざるを得なかったから。人気が出て、周りを取り巻く環境が変わったんだ、本人たちも変わらなくてはならない。『ほらやっぱり変わったんでしょ、遠くなったんでしょ』と言う?それなら私はこう言おう。 嵐を変えたのは、遠ざけたのは、彼ら本人ではなく私たちファンだよ。 彼らの努力だけでは"今"は存在しない。私たちのようなファンがいたから、増えたから、国民的アイドルグループとまで成長した。自分が好きになった頃よりもチケットは格段と取れなくなっているのだから、なかなかコンサートに行くことが出来ない。歌番組などの選曲も王道なものばかりで世間に合わせてあるから、コアな曲が好きなファンには物足りない。そんな姿を見ると、遠くなったと感じるのも仕方ないことなのかもしれない。しかし"国民的"と言われてしまってる以上、世間の目はそれなりに大事。世間に合わせたイイコちゃんグループになるのも仕方ないことなのではないだろうか。

 

 

『今まで支えてきたファンより世間を大事にするのか』って思うんなら、もう彼らの背中に乗っていることは不可能だと思う。ここまでだよ。彼らはきっとこれからも大きくなり続けるし、今よりきっともっと遠くなる。あなたが離れればもしかしたら失速して、前の嵐に戻るかもね。そんなに昔の嵐が恋しいなら、今ほど人気がなかった時代に戻せば良いじゃない。そのためにたくさんのファンはいらないんだから、昔の嵐に戻したい人の手で、どうにかしてねって話なんですよ。担降りなんて勝手にすれば良い。ただ、降りる時に周りを巻き込まないでほしい。あなたがもう好きじゃなくても、好きな人たちはまだたくさんいる。彼らの船を降りない人たちはまだたくさんいる。そんな人たちを傷付けるだけ傷付けて降りていくなんて、自分勝手だ。前にもTwitterの方で言ったことがあるが、そもそも、もう嵐を愛していない人間が嵐に愛されようってのが間違いなんだ。

 

 

 

勝手に色々考えて、彼らの笑顔を疑うくらいなら、なんにも知らないで私たちに見せてる笑顔だけを信じていたい。ビジネスだってなんだって良い、必要以上に知ろうとしなければ、彼らはキラキラしかしていない。私たちはキラキラしている部分だけ見ていればいい。バカみたいに騙され続ければ良いとすら思ってる。いつか終わりが来るのなら、私はその時まで夢を見ていたい。

 

 

 

私は、昨日の嵐より、今日の嵐が好き。明日の嵐は今日よりもっと好きになる。

 

 

 

どうでも良い話になるが、いつか出来るであろう(出来てほしい)わが子に『ママ、この人たちを好きだったんだよ』って教えてあげるのか私の夢なんです。今はこんなこと言ってる私だけどこの先あと何年ファンを続けるかわからないし、ファンを続ける上で自分がどんな意見を持つかもわからない。ただ、嵐を好きだったことを黒歴史になんてしたくないし、嵐を好きだった自分を否定することだけは絶対にしたくない。どんな終わり方を迎えようと、彼らに夢をもらっていたことは事実。それを否定することは絶対にしたくない。そんなファンにはなりたくないし、そんな終わり方はしたくない。

 

 

 

 

『あの頃の嵐が好き』文化が個人的に苦手だというだけなので、それを言うことに対して否定しているわけではありません。誰かの発言を否定したいわけではないです。少数派の意見なんだろうな、っていうのはわかっています。口が悪くてごめんなさい。意味のわからないブログになりましたが、最後まで目を通してくださり、ありがとうございました。